人にやさしく
(ライター名:副大臣)
こんばんは。副大臣です。
深夜に唐突ではありますが、平和で平凡な雑記を書き綴らせていただきます。
さて皆さんは、「人にやさしく」していますでしょうか?
家族や恋人、友人や同僚、先輩後輩、果てには見ず知らずの人に対して、普段からやさしくできていますか?
できているという人。最近キツく当たってしまった心当たりのある人、あんまり意識したことのなかった人……。それぞれいると思います。でも、そんな人たちでも、
人にやさしくしたい(されたい)
と思ったことがない人は少ないのではないでしょうか?
かく言う私もそのうちの一人です。
今回はそんな、「人にやさしく」をテーマにした記事を書かせていただきます。
これから書く内容を読んでいただけるだけでも幸せですが、その上で、「人にやさしく」したいなと思うに至るきっかけになれば幸いです。
■1.人にやさしく
では本文です。
これまでの導入を読んで、この先を読み進めようと思ったあなたは、その時点でやさしい心を持っているような気がします。ぜひ、この先にも目を通していただきたいです。
昨今ではSDGsという言葉が流行していますね。
これは、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)という意味で、ざっくり説明してしまうと、”より良い世界にしていこう”というムーブメントです。
世界中の人や地球のためによさそうなことを、TVなどのメディアで取り上げられているのは、よく見聞きしているのではないでしょうか。
しかし、それとは逆行するようなかたちで、世界では戦争や紛争が各地で行われていて、ニュースなどで目にする機会も多いのではないでしょうか。
今回の記事では、SDGsがどうとか、戦争がどうとか、そういった小難しい話を展開していくつもりはありません。
もっと単純で、私たちが日常生活を送っていく上で、考えられることやできることに焦点を当てて考えていきたいと思います。
ではなぜSDGsを例に出したかというと、”イメージしにくい誰かにやさしくするよりも、身の回りの人にやさしくしてみませんか”ということが言いたかったからです。
(もちろん、SDGsの活動を批判する意図はありませんし、余裕ができればそう言った活動も視野に入れてもいいのかもしれません)
「人にやさしく」
と言われたときに第一に思い浮かべる”人”は誰ですか?
それは地球上に存在する生物としてのヒト、日常生活において直接関わることのない他人ではなく、あなたの身近な人、が多いのではないでしょうか。
そんな身近な人に対して、やさしくするということは、なんだかんだ言って気持ちのいいことのように思います。
でも巷では、やれマイノリティだSDGsだと、親しみにくい話題がトレンドです。
何度も言う通り、それらのことに気を遣うことは良いことだと思います。
けれども、まずは身近な人からやさしくしていく方が簡単な心掛けだと思うし、リアリティもあります。それができないのに上記の事柄に配慮するということはなんだか不気味ではないでしょうか。
なので、まずは身近な人にやさしく、してみませんか?
もちろん常日頃からやさしくしようと意気込んでいると、自分で抱え込んでしまってパンクしてしまうことも考えられます。
ですが、ちょっとでも自分の心に余裕がある時、思い至った時、一度だけでも構わないから、「人にやさしく」してみてはいかがでしょうか。
私も、あんまりやさしくできていません。
やさしいこともあれば、嫌いな人やストレスの溜まっているときはやさしくないこともあります。
それでも、自分のできる範囲で、人にやさしくいようと思います。
■2.やさしいセカイのつくりかた
今度は戦争の話。ではなく、それで思い出したことを書きます。
(ずいぶんと過去の内容なので、実際にあったこととは少し違っているかもしれませんが、ご容赦いただければと思います)
ずっと昔、あるホスピタル・クラウンの方の講演会を聴く機会がありました。
ホスピタル・クラウンというのは、わかりやすく言うとピエロの格好をして小児病棟へ赴き、そこで入院する子供たちへ笑顔を届けるという活動をする人たちです。
その方の話は今でも心にのこっていて、尊敬している一人でもあります。
そして公演の際、話を聴いていた私たちに向けて彼が言った言葉がとても印象深かったのです。
「まずはあなたの隣にいる人にやさしく手を差し伸べてください。そうして二人が笑顔になって、その輪が広がり全世界の人たちが同じように手を取り合えば、世界はもっと平和で笑顔が増えるでしょう」
一言一句違わずこう述べたというわけではありませんが、このようなことを言っていたと記憶しています。
なるほど確かにこれなら、ホスピタル・クラウンとして活動しているすごい人みたいには行動できないけれど、自分だけでもやってみれそうだな。と、思える内容でした。
もちろん、そんな簡単に世界が平和になるわけでもないし、綺麗事であることはおっしゃった当人も、聴衆もわかっていたでしょう。
それでも、自分だけでも人にやさしくしてみよう。そう考えるきっかけには十分でした。
自分一人の行動や捉え方で世界が変わる。なんて大それたことを本気で考えられる人ばかりではないでしょう。
けれども、自分の日常で触れるセカイなら、少しくらいは変わるのではないでしょうか。
主観的にも。そして客観的にも。
最後に。
この記事を読んだ人が「人にやさしく」したいと思っていただけていたら嬉しい限りです。
やさしくした見返りを心の中で求めてもいいと思います。
やさしくしたという事実が生まれるだけで、前より良いセカイになるのではないでしょうか。
だから私は、人にやさしくしていきたい。
5月某日 副大臣